2010年05月26日 (水) 18:29 | 編集
先日、私の所属している日本劇作家協会で、誠に残念ながら他界された井上ひさし氏を語り継ぐ会が行なわれた。生前の氏にふさわしく、いわゆる弔辞や湿っぽい思い出話などは一切なしで、集まった劇作家たちがリレー形式で各自にとって印象的な氏の戯曲の一部を読み上げていくというパフォーマンスが中心のイベントだった。
改めて氏の戯曲の題材や趣向の豊富さを思い知らされると同時に、それぞれ違う作品を選んだ劇作家諸氏の思いに氏の存在の大きさを痛感した。
開場時に流された氏のインタビュー録音で、「彫刻や映画は作られた当時のまま存在し続けるが、戯曲は上演されるたびに新しく生まれ返る。それが素晴らしい」みたいな内容の話をされていたが、まさにそうなのだ。
井上ひさし氏の書かれた戯曲は、これからも上演され続けるだろうし、その度に新鮮な蘇生を繰り返すだろう。
まだまだ足元どころか、地面の下にも及ばない修業の身だが、いつか後の世まで残って生き続ける戯曲を書き上げたい!―――そう強く思った。
校倉 元
改めて氏の戯曲の題材や趣向の豊富さを思い知らされると同時に、それぞれ違う作品を選んだ劇作家諸氏の思いに氏の存在の大きさを痛感した。
開場時に流された氏のインタビュー録音で、「彫刻や映画は作られた当時のまま存在し続けるが、戯曲は上演されるたびに新しく生まれ返る。それが素晴らしい」みたいな内容の話をされていたが、まさにそうなのだ。
井上ひさし氏の書かれた戯曲は、これからも上演され続けるだろうし、その度に新鮮な蘇生を繰り返すだろう。
まだまだ足元どころか、地面の下にも及ばない修業の身だが、いつか後の世まで残って生き続ける戯曲を書き上げたい!―――そう強く思った。
校倉 元
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